1990年代(平成時代)に入り、国内素材市況の軟化や埋め立て処分費用の高騰などを背景に、使用済み自動車処理の逆有償化が進みました。特に自動車がシュレッディング処理された後のダストは、最終処分場の逼迫に伴いその行き場を失ってしまいました。 豊島(てしま)事件(シュレッダーダストの不法投棄)は、高騰した最終処分費用を回避しようとして起こされましたが、それは廃棄物処理法の改正(最終処分場の安定型から管理型への変更)を招き(平成6年)、その結果、管理型処分場の急激な逼迫、および処分費用の急騰につながりました。
 もはや自動車リサイクルは自律的メカニズムを失いつつあったのです。
 事態を重く見た政府は、2000年(平成12年)7月、産業構造審議会内に自動車リサイクル小委員会を設置し、法制化に向けた本格的な議論をスタートさせました。 およそ2年間の議論を経て2002年6月、「自動車リサイクル法」は衆議院で可決され成立します。この間、日本ELVリサイクル機構(当時日本ELVリサイクル推進協議会)は、リサイクルの現場を預かる側の立場から、新しい制度がしっかり機能するよう、零細な事業者にとって過重な負担とならないよう提言してきました。